中国に来たことで、生活時間は代わり、
食べるものは代わり、一緒にいる人も周りにいる人も変わった。
自分一人で出来ないことも多く(自分一人で出来ないのではないかと感じてしまう場面や、実際助け助けられる場面など)
日本で作り上げられた自分とは
また別の人間として、ここにいるような感覚になった。
住む場所を変えるということは
一から出直しのような気分になるのかもしれない。
良いことも多いけれど
ある程度、決められた時間まで働くことや
報酬としての見返りなどを考えたときに
子どもがいるという弱みからか、私自身に、主体性がなくなるときがあったみたいだ。
ものの言い方と、ぶつける感情や想いを
言葉にすることの難しさを感じた。
日本では、言わなくても何とかなることが本当に多かった。
ここ中国では、ストレートな人は多い。
怒りや不満をそのままぶつける人もいれば、
噛み砕いて対処する人もいる。
それはストレートに言うことが悪いというわけでは決してなく、そのボールを受けとめたりかわしたりする術を知らなくてはいけないと、いうこと。
ある人のストレートな感情に振り回されていることに、なかなか気づけなかった。そしてそれに巻きこまれたために、私だけでなく、沢山の人の助けも借りなくてはいけなくなった。そして、そこまでしても、それが無駄になったりもした。それはその人のせいでなく、自分のせいになるのがこの国のルールなのかも。主張しないといけないし、どちらが正しいとかは関係なく、約束よりもその場の状況を加味する。
(ように思う)
人の判断ではなく
自分で判断しなければいけないということ。
例えばそれが偉い人なのだとしても。
中国の人たちは、それが当たり前で
その術を知っているようだ。よくも悪くも。
責任という言葉の重みが、日本とは違う気がする。それは良い意味でも。軽やかだから。
日本での当たり前が当たり前でないため
その自分自身の"ここまでは大丈夫"のラインは、自分で提示しないと何処までも流されてしまう。それも、おかしな方向に。
わかっていたはずなのに、嵐のような巻き込み具合に対処が遅れた。
そのような様々な出来事のやりとりを経て
今回
当初、9月に帰国予定が10月になったことで
どちらに帰国するべきかカードを引いてみた。
(ー9月になりそうです)
ネガティヴカードが分かりやすい程でたので
記念に写真を撮りました。
結局のところ
カードは私の自分意思を尊重したい、というところだけ。
ボイジャータロットは行動の約束を重視しますが、それだけでは、ダメだった。
それをただやるのではなく、
どんな想いを込めてやるのか、
当たり前の部分、、、
例えば会社に属したり
人からの指示で動く場合
ーそんな場面こそ
パワーバランスが発生して
自分の意思や想いを保つことが難しくなるけれど
その見極めを上手にできるように
何処までも自分を大切にしていかないとなぁと
肝に銘じた出来事でした。